一粒の米  盲天外(もうてんがい)


   「一粒の米」は、森盲天外(恒太郎)の言葉です。
   盲天外は、31才の時、眼の病気にかかり、33才には両方の目が見えなくなってしまいました。盲目となった盲天外は、大変嘆き悲しみ、自殺を三度もしようとしました。


   ところが、ある日、ごはんを食べていると、盲天外のひざの上に「一粒の米」が落ちました。それを指でつまみ上げた時、盲天外は「はっ」と気がつきました。盲天外、34才の時のことです。


  盲天外は、一粒の米を指で練りながら考えました。この米は、練れば練るほど粘くなり、強くなる。人間が食べれば、栄養となって血をつくり、骨を育て、筋肉を増やす。一粒の米は、ただの米でありながら、その姿を様々に変えて、限りなく自分の値打ちを高めているのだ。
 

   また、たった一粒の米といえども、これを種として育てると、何年か後には大量の米となる。そして、人間に大きな幸せをもたらすのだ。

 盲天外は、「一粒の米」を通して、希望を持って、明るくたくましく生きることの大切さを知ったのです。
 

  余土に暮らす私たちが、盲天外の「一粒の米」から学びたいのは、次の三つです。

 一 姿を変えていく「一粒の米」のように、私たちも今の自分に満足  せず、向上の努力をしよう。
 一 「一粒の米」にはかくれた力があるように、私たちも自分の力を信じてたくましく生きよう。
 一 「一粒の米」が大切なように、自分や友だちの命、自然を大切しよう。

 盲天外のこのような考え方は、盲天外45才の時に書かれた「一粒米」という本に述べられています。
 碑文の文字は、盲天外が盲目になった後に書かれたものです。 (一粒の米の碑文から)