かるた「余土めぐり」・副読本「わたしたちの余土」の活用(4年生)
2026年1月2日 08時00分 「余土の人々が、今、安全にくらしていられるのは、長い長い間バトンを受け継いできた人々のおかげだと思いす。ぼくもこの思いを受け継ぎつないでいきたいと思います。」
これは、ある子どもの社会科日記です。子どもたちがこの思いに至った過程は、単元全体そのものの中にありますが、本時(12/15)の授業にもそのヒントがたくさん含まれています。
授業の冒頭では、足立重信のはたらきをふり返りました。最初に提示したのは、かるた「余土めぐり」の次の札です。「二つの川 流れを変えた 足立重信」、2つの川は何川だったのか、工事を指示したのは誰(加藤嘉明)だったのかをきっかけに、学習が始まっています。ここでは、「八幡さん まるに二の字は おとよ石」にも触れました。加藤嘉明は、松前城から松山城に城を移すことになりますが、松前城の石が松山城にも転用されており、その石は、校区の日招八幡第神社にも残されています。その後、ふるさと松山学(広がる故郷の心)「加藤嘉明」、ふるさと松山学(松山だんだん物語)「足立重信」を活用し、当時の重信川の災害の様子、工事の様子、人々の生活の変化、足立重信の思い(安心して米作りできる村にするためなんじゃ)をふり返りました。
しかし、その後も余土は、大洪水にたびたび見舞われることになります。ここでは、「市坪は 安長堤 玉前時」を用いました。子どもたちは、重信の工事の後も新しい堤防が必要だったこと、つまり大洪水があったことを具体的に知ることになりました。子どもたちの興味は、その大洪水の発生回数でした。ここでは、「わたしたちの余土」(P108郷土のあゆみ)を用いました。その数は2000年までに20回を超えていることが分かりました。子どもたちが驚くのも無理はなりません。
ここで私財を投げ打って川の工事にあたった、余土の英雄、安長九郎左衛門が登場することになります。工事のおかげで洪水は少なくなりますが、その結果すっかりびんぼうになってしまった人物です。その話も「わたしたちの余土」(P37郷土はこう開かれた 安長九郎左衛門)に掲載されています。
子どもたちは、この資料をもとに、災害の様子、工事の様子、くらしの変化について調べ学習を行い、「おにぎりタイム」で、九郎左衛門の思いについて話し合いました。足立重信と共通の思いがある、余土の人たちのためにがんばったといった意見を引き出せたことは、大きな成果でした。子どもたちは、校区に安長九郎左衛門の碑が残されていることに、とても驚きの表情を見せていました。
その後、かるた「助け合い 心は一つ 余土村是」では、洪水の多い余土では、昔から助け合う文化があったことを、ふるさと松山学(人の活 まちの粋)「森盲天外」では、およそ200年後の森盲天外による河川改修工事を行っていることをおさえました。
最後に示したかるたは「美しい ふるさとづくり わたしたちの手」です。子どもたちは、次のように社会科日記に記しています。
〇いろんな人が工事をしていることが分かりました。そのおかげで今があると思います。私が当たり前に思っているほかのものにも、歴史がつまっているのではと思うようになりました。
〇余土の人々の助け合いがつながってきたのがすごいことだと思いました。。
〇足立重信の工事の後にも、洪水があったことはとても驚きました。九郎左衛門が堤防をつくる思いをつないだのがすごいと思いました。
〇川が氾濫し、多くの人が苦しんでいることを思うと心が苦しくなりました。足立重信から始めて、たくさんの人がバトンをつないでいます。これから多くの人に感謝してくらしたいです。
〇これからも余土を良いまちにしたいです。
かるた「余土めぐり」や副読本「わたしたちの余土」を使うことで、子どもたちは、ふるさと余土の発展に尽くした先人について知ることができました。ふるさとを思う気持ちも育ちつつあります。
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