メインメニュー
余土小日記のカテゴリー
学校紹介

2014年2月28日(金曜日)

森盲天外物語16 中休みの運動場

カテゴリー: - hp-admin @ 09時33分18秒

森盲天外物語16

−余土村長に−

 明治31年、彼は比叡の山を下りて、松山に移り住んでいる家族の所へ帰りました。

余土村の村会議員が大勢訪ねてきました。

「ぜひとも、余土村の村長になって、村を治めてください。

こうやって、村人を代表して、お願いに来たのです。

「わたしは、ご承知のように目が見えないので、文字も読めません。

せっかくだがお引き受けできません。」

「役場の書類などのことは助役がやります。指図をしてくればよいのです。

ぜひ、あなたのすぐれたお考えを出して、村を治めてほしいのです。」

余土村を思う心の強い盲天外は、村人の心に打たれ、

とうとう村長を引き受けることになりました。

余土村ではさっそく村会を開き、全員が森恒太郎の村長当選を決めました。

そして、村長当選を認めてもらう書類を県庁に差し出しました。

ところが、県庁では、目の見えない人が村長になるのは無理だろうと反対しました。

そのことを聞いた恒太郎は、県庁に行って知事に会い、

「目の見えない私が村長になることを認められないということは、

私一人のことではありません。

全国にたくさんいる目の不自由な人たちは、村や町の仕事にはつけないことになり、

人としての権利をなくすことになります。

また、私の余土村では小学校を立てる場所のことでもめています。

私は、村人からぜひこのもめ事を収めて欲しいと頼まれています。

このもめ事を収め、立派な余土村をつくる覚悟です。」

と強い決意を話しました。

知事はこの話に心を強く打たれました。

それから2日後に、村長に認めるという書類が余土村の役場に届きました。

 ここに初めて日本でただ一人の盲人村長ができたのです。

明治31年(1898)3月25日、

恒太郎34歳の時でした。これから10年間、

村づくりのためにすばらしい働きをしたのです。

参考文献

えひめこどものための伝記第3巻(愛媛県教育会発行) 

       我が村(青潮社出版部発行) 
         一粒米(青葉図書発行)

       わたしたちの余土・余土百年のあゆみ(松山市立余土小学校発行)

挿絵:出典

 えひめこどものための伝記第3巻(愛媛県教育会発行)

 

 

 

中休みの運動場

− 気温が上がり春らしくなってきました、

外で遊ぶ子も増えてきました −

 2/21中休みの運動場の様子です。

縄跳びをしている子がたくさんいます。

ドッジボールをしている子もいます。

滑り台は低学年の子どもたちに大人気です。

おにごっこやけいどろなどもよくしています。

写真をつないで作りました。

 

nakayasimi.jpg


Powered by WordPress Module based on WordPress ME & WordPress

Powered by XOOPS Cube 2.0 c 2005-2006 The XOOPS Project    Theme designed by OCEAN-NET
copyright © 2009 松山市立余土小学校