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2013年10月18日(金曜日)

森盲天外物語4

カテゴリー: - hp-admin @ 14時29分25秒

連載

森盲天外物語第4回

 

少年期編

−恒太郎東京に行く、そして帰郷・・・−

 

その頃、北予中学校から東京に行き、勉強をしていた者は

20名あまりいました。

恒太郎が東京に行ったのは、明治13年でした。

16才の恒太郎は、中村正直先生の学問塾「同人社」で

学ぶことになりました。

中村先生は中国、西洋の新しい学問を身に付けており、

キリスト教の教えを信仰している大変優れた学者でした。

「西国立志編」など西洋の学問の書を

日本人にも読めるように、日本語に翻訳して、出版していました。

中村先生に出会い、その教えを受けたことが、

恒太郎にとって、将来の大きな力となりました。

 

東京に出て、5年がたった明治19年、

余土村に帰ってきた恒太郎は22才になっていました。

 その年の9月に大きな台風がやってきました。

何日も雨が降り、石手川には大水のうずが巻き、

気味悪い音が響いてきました。恒太郎は、作男の鶴吉を呼び、

大川の様子を見てくるように頼みました。

鶴吉は、しばらくするとあわてた様子で戻ってきました。

「わかだんな、水が出ていてとても行けません、

道の上を私の腰くらいまで水が流れているのです。」

すると、となりの岩さんが、やぶれるくらい戸をたたきながら、

「土手が切れた、米を始末しなさいよ」と叫びました。

恒太郎は、あわてて庭に飛び出しました。

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参考文献

えひめこどものための伝記第3巻(愛媛県教育会発行) 

       我が村(青潮社出版部発行) 

         一粒米(青葉図書発行)

       わたしたちの余土・余土百年のあゆみ(松山市立余土小学校発行)

挿絵:出典

 えひめこどものための伝記第3巻(愛媛県教育会発行)

※ 今回から愛媛県教育会の許諾を得て、

挿絵を使わせていただけることになりました。

ありがとうございます。

 


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